「プラハの春」

は二通りに解釈される。
1.がんじがらめの社会主義から少し自由をもつ(又は人間の顔をもつ)
 社会主義へ転換しようとした1968年春の頃(とその運動)
1.ソ連軍がチェコのその運動を力で押さえつけるために大量の戦車
 でチェコ(当時のチェコスロバキア)に進駐した頃(とその進駐)

ソ連軍の進撃はその後のチェコスロバキアの沈滞につながって,暗い
鉄のカーテン内に引き戻されてしまった。
国民は黙り込むようになったし,共産主義の政治家は糾弾された。


当然ながら,このソ連軍の進撃をくい止めることは出来なかったかという
論争があった。
その論争を書いた本がある。
歴史というものは詳細を書き留める人がいる。

チェコ悔恨史」は「はまぞう」では見つからなかったが,
同じ著者の本があった:
集団的自衛権―論争のために (PHP新書)