2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

紋章

学校名は「モラヴィア・学院・オロモウツ」(チェコ語直訳) 英語では,日本語ではどのように名づけるのがいいのか話し込んだが 「モラヴィア学院」が良いだろうと思う

男の友情をともに共有する友達として

私は何か支援をしたいと考えている。 例えば,日本の私立大学との提携, ブログの開設と運営, 進出企業のトップに資本主義を語っていただく, 会社経営者のクラブを作る, 実際の実業として可能性の高い観光事業への関与,等々 を進言している。

ソフトウエア制作の会社と不動産業の近代ビルを経営するヨゼフ

この二つの会社で終わるのかと思っていたが,長年の夢に向かい再び 走り出したのが男の中の男ヨゼフという人物。

「開校まじか」

チェコ共和国にはいまだ私立学校は少ないが, ヨゼフは昨年からロビー活動をして,今年6月に学校設立の認可を得た。 7月には準備していた通りの体裁を整え,8月に生徒の募集を始めた。60余名の応募があり現在試験を行っている最中。

旅行記

http://4travel.jp/traveler/fk/album/10034454/

サハリン(占守島)慰霊巡拝に参加して:

厚生労働省の事業の一つに参加し,8月29日から9月12日まで印象深い旅を経験した。昭和20年8月15日終戦の日から三日目の8月18日に,北海道の北 千島列島最北端にある占守島を何者かの軍隊が攻撃を開始した。戦争が終わり帰国準備に心を奪われている兵士達は…

「目的を終えて樺太へ」

すでに樺太のコルサコフ港の桟橋に着岸したが,上陸は次の日の予定となっているので一日船の上で過ごす。PCが崩れてしまった。いろいろと手段を尽くして復帰を試みたが駄目だった。厚生省の方は本当に親切でやはり過去の経験を踏まえて回復を試みてくれた。P…

「陸士」

バーに行ってみた。なんでも陸士(陸軍士官学校)出身の方が誕生日とかで仲間の方々と厚生省その他の人が一塊りで座っていた。私はウォッカを飲んで引き上げた。他のグループに聞いてみると、その人々のいなくなった後にバーに行くといっていた。 母に尋ねて…

「コルサコフ」

広いコルサコフの湾に入っている。波の静かな碇泊に適したところを探してゆっくりと走り続けている。 夕方波しぶきに虹が現れて美しい。台風の影響で波が荒れくるい、大きなしぶきが立つとそこに虹が浮かび上がる。 左と右に現れることもある。 忙しく左に行…

「日本海を台風が北上」

昨日夜から波が高い。台風が日本海を北上しているというニュースがあり、元の日程では今朝シュムシュ島あたりを離れるという最初の予定を早めて昨日昼には出発したのだった。南下しているから寒さは和らいできたが、本船は大いに揺れる。朝食は各人の部屋に…

「ロシア人の厚意」

昼食後ビデオを見せてもらった。 船の船長というのか分からないが親切に撮影してくれたものだ。たぶんVHSのコンパクトタイプのテープを使用する機種で古い。 丹念に、本船の食堂を準備しているところ、制服を着た女性たちが歩く姿から始めて昨日夜まで記録し…

「ロシア退役軍人」

事前にロシアの民間グループ(退役軍人)から合同慰霊祭をしないかという連絡が入って検討したが、民間からの誘いだから厚生省は関与できないという事だし、ロシア側の戦争理解が、あくまで日本不法占領からの解放の為に戦争したという理屈で、とても受け入…

「北海道の遺族会」

北海道の遺族会の会長は現在3代目のNさん。 この人になって全国に占守島の遺族に情報を送るようになったそうだ。 Nさんは戦後いつまでも攻撃を続けるソ連軍に対して日本の軍使としてロシア軍と交渉した剛胆な人物。 ソ連の砲弾が止まらないなか歩いて敵陣に…

「樺太に向かう」

中千島のマツワ島近くを通過したのが朝9時、母の兄はこのあたりで戦没した。4階デッキで母と私は手を合わせる。 最後の写真撮影。霧が深くて何も見えないが、本船イーガリ号は波頭を蹴って進む。朝10時から12時までバーで話しを聞く。 MさんとOさんの…

「さようなら、シュムシュ島、パラムシル島」

そして6時には右手に占守島、左にパラムシル島を眺めながら、もうイーガリ号は静かに海上を走り出した。 汽笛が鳴ったように思う。 占守島とパラムシル島に最後のお別れの為にだれもがデッキでお祈りをする。さようなら... 御霊を心にしっかりと抱きしめて…

「片岡飛行場で合同慰霊祭を挙行」

片岡飛行場は日本軍が建設した飛行場で、コンクリートの滑走路は立派なものだ。60年も放りっぱなしになっていても、しっかりしたコンクリートの滑走路は今でも使えそうだ。周りは雑草が多い平原で、南には狭い海峡を隔ててパラムシル島が間近に見える。元…

「合同慰霊」

パラムシルは高い山が多いが、占守島は台形をしていて平原ばかりだ。 投錨している我らの本船は錨を中心にゆっくり回転し続けるが、今ではどちらの島か見分けるのは簡単になった。 高い山があればパラムシル島で平原ばかりの島はシュムシュ島というわけだ。 …

「シベリア抑留」

バーではSさんの話しを聞く。二年シベリアに抑留された人。 戦後四ヶ月後の昭和20年の暮れに船に乗せられてナホトカに着いたのが21年元旦だった。 ひどいもので戦後に軍事行動を起こしておいてすべての日本軍人を抑留したのがスターリンのソ連という国で…

「鵜鳥を釣る」

夜は魚釣りをした。可哀想に大きな水鳥を釣ってしまった。 鵜鳥という種類らしく,大きく黒い鳥だった。 写真を撮ってすぐに放してやった。 写真は実に素晴らしい旅のハプニング証明となるものだ。記念の二枚を残した。ロシア人は笑っていた。

「ポツダム会談」

ポツダム会談では、米国とソ連の約束で、米国はアジアの戦闘に集中するからソ連は満州を攻撃して日本軍がアジアに移動するのを妨げること、それと交換にソ連は樺太と千島を得る、という約束が成されていたと聞いたことがある。また、シュムシュ島では実際に…

「パラムシル島」

朝から霧が深い。 刻々ときれいに変化する大きな虹を頻繁にデッキから眺める。鯨を一瞬見た。悪天候により今日の朝の予定はキャンセルで、船の上を散歩したり船室で読んだり書いたりしている。デッキにでて北の占守島を眺める。 南のパラムシュル島に虹が架…

「シュムシュ島四嶺山」

四嶺山の頂上に登った。 そこから再度ソ連軍が侵攻した岸と竹田浜を眺望、カメラのシャッターを何度も押す。 一眼レフも使った。 四嶺山山頂に立った。風は激しい。一昔前の激戦地も静まり返って久しい。風の音だけがきこえる。遺族の方々が走って目的地に行…

「ヘリコプターに乗換え」

このときMOツーリストが事前にチャーターしていたヘリコプターが飛んできた。天候が少しよくなったので飛行したのだった。 バスは荷物を運んでもらう事にして全員ヘリコプターに乗り換えた。 これで安心安心。 隙間がたくさんあるヘリコプターの床をみて私は…

「シュムシュ島に上陸する日」

朝は珍しく快晴だった。朝日を写真に収める。8時の予定は1時間程度遅れて出発、艀でシュムシュ島の片岡港に到着。気持ちが高ぶる。 船が近くに移動していたので艀は15分で岸壁に横付けした。 港と言っても岸壁があるだけで本当は港とは呼べないところだ…

「パラムシル島」

目の前に見える、静かな人の気配が全くない島、そこはパラムシル島で左に霞んで見えにくいのが占守島だ。 ついにやって来たかと感傷にふける人が多い。私もデッキに出て島を眺める。シュムシュ島で生活し戦闘を体験された方々はとくに感慨深げに濃霧の中のシ…

「パラムシル島」

昨晩遅く大きな音がして飛び上がったが、碇をおろしたのだった。 海流に乗って早く進みすぎたので時間調整のためにしばらく停泊したそうだ。 いくら早く目的地に到着しても上陸できる日程は決まっているからなのだろう。朝は10時に3度目の洋上慰霊。 Tさ…

サハリン州パラムシル島はシュムシュ島の南に位置する

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「米国について」

宮城県のTさん、埼玉県のHさんと話す。 米国について話題になった。 世界の異文化に対する好戦的な政治が話の内容になってしまう。世界文化を理解もせずに無理矢理米国型に世界を変えようという意図がいかに間違っているかということであった。

「洋上慰霊」

9時半から洋上慰霊 霧があって寒い船上4階デッキで祭壇がもうけられて慰霊。 母は戦没した母の兄の為に長いあいだ手をあわせていた。兄弟の戦死とはかくも悲しいものかとあらためて思うばかり... 何度も兄の慰霊に出かけたいと言っていた母の心情を思いつ…

「中千島」

かなり寒さを感じる。濃霧。 朝食は8時から。 いつものようにご飯がでたがみそ汁がなかったので、日本から持ってきた人が分けてくれた。 パンとバター、それにコーヒー。