「ポツダム会談」

ポツダム会談では、米国とソ連の約束で、米国はアジアの戦闘に集中するからソ連満州を攻撃して日本軍がアジアに移動するのを妨げること、それと交換にソ連樺太と千島を得る、という約束が成されていたと聞いたことがある。

また、シュムシュ島では実際には米軍機が飛来した時には避難していたそうだ。それは、長期戦に持ち込むため武器弾薬を温存するための戦略で、備蓄している食品も消費を押さえて長く持たす必要があった。シュムシュ島を含む北千島という殆どなにも育たない土地では既に北海道から持ち込んだ備蓄食品が頼りだった。

物資輸送の船とたいはんが米軍の魚雷に沈められたらしい。

むしろ千島での戦争は戦後の侵略者ソ連軍との戦いが激しかった。それは日本の降伏という戦後の出来事だから理屈なく悲劇なのだ。
だが、理屈もなにもないスターリンは、原爆を二発くらって日本の敗戦が決定的になって急いで既成事実を作るために樺太・千島そして北海道の占領をねらった、というように読んだり聞いたりして私は思っている。それに、米国は日本の降参が決まりつつあるのを確かに感じる段になってもはやソ連の日本侵略はかえって米国の千島占領をゆすることになる、とソ連は読んだとも聞いている。