「シベリア抑留」

バーではSさんの話しを聞く。二年シベリアに抑留された人。
戦後四ヶ月後の昭和20年の暮れに船に乗せられてナホトカに着いたのが21年元旦だった。
ひどいもので戦後に軍事行動を起こしておいてすべての日本軍人を抑留したのがスターリンソ連という国であった。
ソ連は日本人を抑留してシベリア開発にあたらせたのだった。

その元軍人は抑留中の生活を観測していたが,ソ連はおかしな国で革命が起こるだろうと予測されたそうである。
ソ連崩壊はその後46年も後のことになったわけだが、抑留地では共産党幹部はいい生活をしていて一般のロシア市民は貧乏だった。

タバコは毎日15本配られたそうで、それを貯めておいて、バザーで食い物に交換したそうである。
ソ連人の年寄りはスターリンを、抑留中の日本人には、声を低めてコソコソと批判していたが、若いソ連人は完全にスターリン理論に洗脳されていた。