サハリン(占守島)慰霊巡拝に参加して:

シュムシュ島での合同慰霊


厚生労働省の事業の一つに参加し,8月29日から9月12日まで印象深い旅を経験した。

昭和20年8月15日終戦の日から三日目の8月18日に,北海道の北 千島列島最北端にある占守島を何者かの軍隊が攻撃を開始した。戦争が終わり帰国準備に心を奪われている兵士達は混乱した。ソ連が攻撃を戦争終結後に攻めてくるとは予想していなかったそうだ。
しかし,いつまでも攻撃と侵攻が続くので,自衛戦闘として反撃を開始して激戦となり,双方に多大な犠牲者がでてしまった。
スターリンソ連は北海道の東部まで占領を企てていたが,日本軍の抵抗で短期間に北海道まで奪うことはできなかった。世界からの非難を避けるために北海道は断念した。

ソ連(現在のロシア)の言い分では,要約すると「1945年8月中旬 (日本のファシズムから)解放するために戦闘を開始した」となる。その様にロシア船で見つけた本では英文で書いてあった。
ソ連占守島の生き残り兵全員をシベリアに送り抑留しシベリア開発にあたらせた。一日一枚のパンで暮らす日々も続いたそうだ。もちろんその様な記述はその記念の書物には一切書いていない。

ロシア人は,ソ連が戦後に日本攻撃を始めたとか,満州樺太での大量殺人と略奪もシベリヤでの長年の強制労働と餓死などの事件を学ばない。だから現在それらをロシア人に説明すると,驚き悲しむが,どうしても信じることができそうもない様だ。中欧諸国の人々もおなじ事だ。社会主義時代にソ連から教わったとおり自国民に教えていたからだ。

巡拝の旅は厚生労働省の担当官が指揮をとられたが実に誠実に働いておられた。親切なお役人ばかりで実は驚いたほどだ。快適な旅と食事,事業の成功は若いお役人のお陰だ。

私は思う。戦没者の慰霊巡拝の事業が続いている間に,世界の平和事業と関連させるべきだと。
東京・静岡の無差別殺戮や広島・長崎の原爆投下,アウシュビッツテレジン,チェルノブイユ,その他地球上の卑近な歴史的悲劇はどれも関連・提携してこそ,平和活動が生きてくると思える。

世界は一向に平和に向かう気配がない。戦勝国は軍事事業が国家の大きな工業・経済活動となってしまっている現代,自国経済の逼迫時に戦争を期待する声があがる,それが知る人ぞしるの現実だ。

世界の犠牲者を集め世界の悲しみの事件を共同で学んでから,戦争を仕掛けたり軍事に頼る経済の国に対して,平和が先ず大切だと訴えることができるのかも知れない。敗者の一国ではとても平和を世界規模で訴えることは無益のように思う,犬の遠吠え程度しか受けとめてもらえない。