タトラ製造の60台にも及ぶ車の数々を見学できる。
タトラというのはスロバキアの山脈の名前で、生産する自動車の実験をタトラ山脈で繰り返したことに由来して会社名が決められたのかも知れない。

戦前は主に乗用車を製造していた。戦争中はドイツ軍に自動車を供給。戦後は政府が乗用車製造はボヘミヤのシュウコダで集中製造すると決定したのを受けて次第にトラック生産におもきを置くようになり現在乗用車は生産していない。

タトラのトラックは世界の多くの国に輸出されてきた。自由化後もロシアにも輸出を続けている。2000年に米国のトラックメーカーがタトラを買収した。買収後は製造近代化のためか多くの労働者が首になった...


最初の乗用車プレジデント
1897年製造、4.85KWモーター、2シリンダー、最高速度20.7km/h
この記念すべき自動車は、プラハの博物館に収められている。製造した町の博物館に展示できないことを残念に思った共同創業者は、「ヴァイス・プレジデント」を製造してこの博物館に展示した。尚,プレジデントはドイツ語表記になっているのは時代背景というものだ。


戦後タトラ自動車のプロモーションで世界各国を走り回ったモデル、日本を走りプロモーションで話題提供したトラック、アフリカのシュヴァイツア病院に援助物資を運んだ学生達に提供したトラック、栄光のグランプリ優勝のモデル等々展示されている。エンジン開発の歴史を見学したい人には多くのエンジン展示は魅力的だろう。