バロック

バロックの特徴は太った天使の像や絵画が多くちりばめられていること,絵画や像の人物は上を向いていたり手を突き出したり力を誇示したりしていて,たいていは彩色豊で,左右がバラバラになっていて強烈に目に訴えるという動的な印象を与えるように製作されている。イエス・キリスト様にお祈りする敬虔あらたかな場所であるのは理解していても,アジアの仏教のお寺とくらべるとバロックは特別に装飾がゆたかに見えて私たち日本人には宗教の場に似つかわしくないように感じるときもある。この聖コペチェック大寺院は,ウイーンのシュテファン大寺院よりももっともっと金色の輝きが激しい。

もう一度思い出してみると,イエズス会の熱心な世界中での布教活動とは裏腹に欧州では宗教が原因したとはとても信じられないような異端裁判や魔女裁判といった地球の歴史上もっとも恥じるべき悲惨な裁判とその結果の拷問・殺戮が横行していた。その様なヨーロッパの風土であり時代であった。その風土はイエスが生まれ育った地が生き延びるのに過酷な砂漠だったという土壌にも関係していると思われる。コペチェックの大寺院を見学すると,わたしはいつも建設された時代背景を思いめぐらせてしまう。

 コペチェック教会の分厚い門のなかにカフェ兼レストランがある。現在のオーナーは3代目で,コペチェックの名門である。この美しい丘には社会主義時代に没収され後に潰されてしまったが大きなお菓子工場があった。その名門一族の経営するカフェ兼レストランである。わが友ヨゼフの親戚でもある。

 その地元で名門のカフェ兼レストランで,飲んだり食事したりしたことがあった。趣味の人たちが結成している民族音楽のグループを呼んでもらい,地元の伝統の音を楽しんで過ごした。海外にいるときに日本では常日ごろ親しんでいない音楽をきくと,異国情緒を感じるが,集まっている人たちが地元民ばかりだとことさらに異文化に浸っている感じがする。

 もう一度コペチェック。その地元で名高い一族で画家の奥さんと彫像家のご主人夫婦が住んでいる。芸術家の家らしく内にも外にも作品が無造作におかれている。庭には歴史モニュメントに似ている大きな石像がたくさんおいてある。間近に鑑賞できるので私はコペチェックに出かけるといつもその周りをうろつく。
 あ! この天使は歴史保存地区にあるあの石像を模造したものだな,というような感激がある。家屋入口の大きな板のドアにある木彫はどこかで見たことがありそうだな〜,という風に。

 今回はヨゼフのおばさんに案内してもらい近代的な礼拝堂を見学した。わがご婦人方はチェコの方々と唱和して聖歌を歌っておられたから私はひどく驚いた。意気揚々とし楽しそうにしかも上手に歌われるのだからわが団体のなかの数人はキリスト教信者なのだろう。

 空腹になった。バス停近くのレストランの中庭でベンチを囲んだ。聖歌を唱和した後であったからか,みな炎天下の木陰で会話が弾んだ。気品のあるヨゼフのおばさんは人気の的であった。
 「むかしこの丘に大きなお菓子工場があり,彼女は工場主のお嬢さんでした。」と彼女を日本の方々にご紹介したから,本人は「アア--」という声を上げて一瞬昔を思い出された様子であった。そして私が最初オロモウツとコペチェックを訪れた当時を語りだすのだった。

 社会主義時代のその頃は,お菓子工場は政府に没収されてすでに跡形もなかったし,大教会は保守がなされず雨風にたたかれてボロボロだった。彼女のお姉さんがボランティアでときどき教会を掃除したりしていた。彼女のお姉さんに案内されて教会の隅々まで見せてもらったのはもう随分と古い話になった。当時のミサでは構内は老若男女で埋め尽くされ,人びとは真摯に祈り聖歌を歌っていた。哀愁漂う雰囲気があり時は圧政の時代であった。人々は日々ひっそりと暮らしていた。

 初夏の太陽のもと,菩提樹の大樹の陰で,食事とビールで腹がふくれると時間が差し迫っているのに気づき,ヨゼフのおばさんにコペチェック案内のお礼を述べてバスに乗り込んだ。来たときと同じく11番バスだった。
http://4travel.jp/traveler/fkcz/album/10035577/

*文化紹介
 ちょっとした文化の場を設けて,地元のチェコ人に日本文化を紹介することにしていた。その会場は駅前に聳える現代建築のRCOビルの二階で、集会を開いたり展示会を開催したり,メインホールで大がかりなショーなどがある時にはサブ的なホールとしても使われている。そこに地元の人を集めてもらった。

 わが旅行グループのご婦人方はお茶を振る舞ったり折紙の折り方を教えたりした。日本の伝統に興味をもっているチェコ人はかなり多い。お茶の作法の説明をするときにはずいぶんと熱心に耳を傾ける若者たちがいた。日本文化の一つにお茶というものがあり神秘な作法に従って緑の抹茶をいただくという楽しみ方について読んだり聞いたりしているチェコ人はいるが,じっさいにお茶菓子を味わってお茶碗を手に乗せてしぶい緑茶を試す機会は田舎ではまったくないに等しい。抹茶を買い求めたいと言った人さえいた。

折り鶴を見せると自分も折ってみたいと申し出る人たちが多く,日本女性らしくこんせつ丁寧に真四角の色紙を折ってはそのやり方を解説していた。英語が通じる人もいるのでわたしも鶴を作って一緒になって遊んだ。折紙はどこの国であろうとどんな人にであろうと興味をおこさせずにはいない。美しく均整のとれた鶴は人気の的であるが,かぶとを作るのもとても楽しいようだ。ただし、もっと単純なものを折る方が始めての人にとっては覚えることができる。

今回はかんいがたの日本文化紹介なので書道の準備はしていなかったが,書道というのもそれほど大げさな道具が必要というのでないからチェコオロモウツでも何度か紹介した。アルファベットと異なり、まったく異国的に見える漢字とひらがなは美術的として人々に感銘を与える力をもっている。

*南京玉すだれ
今回のご婦人方の一人は「南京玉すだれ」を得意としている京都人がおられた。日本各地で腕前を披露して楽しまれている方だった。彼女のすだれで作る造形美術はやんやの喝采を浴びた。「プラハのカレル橋」と説明したすだれの橋をお見せするとチェコ人は喜んでいた。オロモウツ市の記念碑として残されている建築物にテレジア門というのがあるが,すだれで作った「マリア・テレジアの門」が彼女の手の上に高々と作られるとまたおおきな喝采であった。この「南京玉すだれ」という楽しい術も世界のどこで披露しても喝采を受けるのは間違いないだろう。大道芸にマッチする。歌拍子は妻がやったが上手いものだったから雰囲気が盛り上がっていた。

文化交流というのは妻が大好きで米国のセントメアリーズ市とチェコオロモウツ市でなんども実行した。日本から琴の演奏家や日本舞踊家なども来ていただいて日本文化を鑑賞していただいたこともあった。2002年の最初の文化交流は、文化の交流とはいかなるものかこちらオロモウツ側では理解していなかったが、わたしと妻の電子メールでのやり取りを介してわたしたちの企画通りに進めてもらい大成功した。現在では遠い異国の地とも簡単に通信できるから文化の交流も仕事も以前よりはたやすく経費も少なくてすむ。文化紹介と文化交流は政治や経済と関係なく、だれでも行える価値ある活動だと思っている。

*茶道
この交流を催す前日,夕食の時に,お茶の先生からお茶文化の披露では写真撮影はしないで欲しいとの申し出があったので,今日の交流場面にはカメラを持参しなかった。由緒正しく茶道を学ぶ人にとっては,わたしの計画した安直な文化紹介の場面での写真は残して欲しくないと思われたようだった。

せっかくの交流であったが一枚も写真がないのは残念だったので,後日の夜は食事をすませてからレストランで「南京玉すだれ」をもう一度披露してもらった。食事をしていたチェコ人もたいそう楽しそうで見学していたが,写真撮影の時には彼らは彼女の作るプラハの橋の中にはいって一緒になって被写体となった。そして彼らも携帯電話のカメラで遠く日本から来られた芸人のパーフォーマンスを撮影していた。芸を披露する方は自らの写真を撮れないから私が記念に撮っておきたかったが、地元の人が陽気になって遊びの輪にはいてくれたのは驚きであった。

前後するが,ビルの小ホールで交流を行ったあと急いでみなオロモウツの旧市街に馳せ参じた。恒例のお祭りが進んでいるからだった。いまでは皆さんがすっかり慣れている市電に乗り5つ目の停車場でおりて賑やかな雑踏になっている旧市街にはいった。