6月16日その3

*パヴリーナ
今日は楽しい「パヴリーナ祭」だ。そしてこのお祭りのもっとも盛り上がる時間に間にあった。陽気なハナーの民族音楽が流れている。

のどが渇いたよ
飲屋さんに行こう
ビールとワインをたくさん飲もう
ラズベリーみたいに顔が赤くなるよ

楽器を持っているね
ビオラを演奏しよう
若い女性が喜ぶように
チェロを弾いて
若い人を楽しませてあげよう
http://4travel.jp/traveler/fk/album/10083856/

*聖女パヴリーナ 
ほんとうのお祭りの主役は聖女パヴリーナなのでその説明をしなければ片手落ちになってしまうだろう。
ヨーロッパ全土の歴史で,くり返し猛威をふるう黒死病は脅威だった。オロモウツには5度も黒死病が襲いそのたびに町が暗黒と化した。例えば3万にいた人口が,流行病のおさまった時には1,500人しか生き残っていなかった,というように凄まじい病気だった。死体が町中にあふれ,家屋の中にも親兄弟の病人が寝ていた。葬式ができる状況ではなく,あわれ人びとは死体を放りっぱなしにして逃げ隠れしなければならなかった。黒死病という伝染病とはそれほど恐ろしく欧州全土をなんども震撼させた病だった。


いつしかパヴリーナを,オロモウツから黒死病から守る聖人として奉るようになった。聖三位一体の碑は黒死病がおさまったとき感謝の念を込めて雄志があつまって建築をリードした祈念碑でありいまでは登録されて独特なユネスコ世界文化遺産なのである。たび重なる宗教戦争や領土剥奪戦争もあったが,いちおうチェコランドの支配者オーストリア帝国の勝利としてつかの間の平穏時に建立を続けた苦労の大建築物だった。建築半ばにもプロシャ軍の侵略があったが,完成は18世紀半ばのことだった。
http://4travel.jp/traveler/fk/album/10029771/


パヴリーナが実在したかどうか私の友達はだれも知らないが,その聖女の銅像とか絵画はオロモウツの歴史建築にはどこにでもあってだれも親しみは持っていたが,いまは夏祭りの主役として聖女パヴリーナが登場した。そして今年二度目,このお祭りの新しい目玉商品として,オロモウツにすむ男女一組の結婚式をこのお祭りで挙行する運びとなった。スポンサーが結婚式いっさいの費用をだすしカプルにはそのうえイタリア旅行というプレゼントまで与えられる。旅行のプレゼントは地元の旅行代理店がきまえよく贈呈することにした。この楽しい結婚式には条件があって,カプルはハナーの伝統衣装で身を飾り市民の祝福を浴びるという条件だ。とても気のきいたアイディアなのだ。

若くて溌剌とした花嫁・なかなか美男の花婿が参集した大衆の目の前で結婚式を終えると,ふたたび陽気なハナー民族音楽が演奏される。賑やかで楽しいお祭りとなっている。

ハナーの伝統音楽と衣装について説明したい。チェコでは山脈と高地の冬の寒さはとても厳しいが,チェコ東部オロモウツ県の平地でハナーと呼ばれる肥沃な地域はそれほど雪が積もることも少ないという恵まれた立地で,むかしから農業で栄えていた。その様な自然環境では、ほかの地方と比べると人々の生活は安定して豊かで自給自足の生活がながく続いた。むかしは馬車と,幅がたいして広くもない川をいく船という交通・運搬手段があったが利用して自分たちの領土を出たり入ったりするのも農奴に甘んじていた農民には許されることではなかった。自給生活は必然だった。だから,おなじハナー地域にあってさえ部落ごとに少しずつ異なる花柄の模様,衣装,音楽,踊りが伝統として残っている。

そしてチェコを支配したオーストリア帝国の全盛期はバロックの時代とも重なっていた。支配され続けたチェコ民族のなかでも、ハナーの人々はバロックをはやくから受け入れて民家もバロック風な建物を好んだが,それは宗主国バロック式が豊かさのシンボルだったからでもあった。ドイツ人貴族や領主の好みでもあった。その様な背景があり、色彩豊かで刺繍をちりばめた派手な衣裳と楽しく豊穣を感謝する音楽が育まれた。今ではハナーの音楽,舞踏,それに衣装はチェコを代表する文化として若者に伝承されている。
http://4travel.jp/traveler/fk/album/10054411/
http://4travel.jp/traveler/fk/album/10020952/