「片岡飛行場で合同慰霊祭を挙行」

片岡飛行場は日本軍が建設した飛行場で、コンクリートの滑走路は立派なものだ。60年も放りっぱなしになっていても、しっかりしたコンクリートの滑走路は今でも使えそうだ。

周りは雑草が多い平原で、南には狭い海峡を隔ててパラムシル島が間近に見える。

元の飛行場で合同慰霊が行われた。今回の厚生省支援で行われている巡拝の旅のハイライトである。
慰霊巡拝のグループと遺骨収集のグループ、調査のグループと別れているが、今回は占守島の四嶺山あたりでの合同慰霊が予定されていた。
しかし、四嶺山周辺の天候が悪いという理由で、パラムシル柏原飛行場から飛行15分の占守島片岡飛行場での慰霊祭に急遽変更になった。

遙か彼方の四嶺山の上空には時々真っ黒な雲が立ちこめていた。風が強いのだろうたまに晴れているように見えるがすぐ又黒くて厚い雲が漂う四嶺山だ。ただしその山は見えないのでその方向の空ばかり眺めるばかり、空虚ではある。
幸運にも片岡では天気は良好で、慰霊祭は天候に左右されず神妙荘厳に進んだ。
生き残って帰還されその後の社会人生を終えられた方々も多く、遺族の方々も多い集団だから、とても真剣なお祈りが続いた。
あちこちで嗚咽、すすり泣きが、聞こえるのだった。


合同慰霊祭が完了して三々五々まわりの草の上に座って配られた弁当を食べた。合同の慰霊祭が敢行できて安堵の気持ち、私たちは戦没者に喜んでもらった、と心が和らいだのだった。

寒くなりかけた時が片岡を離れる時間であった。

再びヘリでパラムシル柏原飛行場へ。そこから柏原港へバス。どちらも15分。
そして牽き船に牽引きされる錆びついた鉄の浮き船に乗船して海峡に碇泊する我らの本船イーガリ号へ戻った。
朝8時半に出発して3時前に戻ってきた。