司教座

1063年にこの地に司教座がおかれた。
以降歴代の司教はチェコ東部モラヴィア地方での布教に大きな貢献を続けて、時の経過とともに領土をふやし権力を強くした。
チェコが初めてヨーロッパで輝いたチェコ王カレル4世の時代には王直々の司祭となり,コインの製造も許されるという特権を与えられ、モラヴィアの法律を司り軍隊も組織した。戦争に巻き込まれるつど、司教が軍隊を指揮し勝利に導いた。
モラヴィアの政治においても第二の位にいたのがオロモウツの司教だった。
*大司教
1777年大司教座に昇格。
大司教の権限でもってますます豪華に改造され庭の手入れがよくなっていまでは世界文化遺産に登録されているのが夏の離宮クロムニェジーシュの宮殿。クロムニェジーシュの庭園もすごいが、宮殿の大ホールは宮廷音楽と華麗な舞踏会が即座に連想される超豪華な大空間だ。大司教ワインセラーも国家権力者の持ち物に匹敵する。オロモウツから少し南に下ったクロムニェジーシュにある宮殿を観察すれば,その所有者だった大司教の権勢がいかに絶大だったか分かるほどである。
オロモウツ大司教は,たいへんながく権力を持ち続けることができた。芸術,文化,音楽といった文化を愛し、教会建築・改築をリードした。オロモウツの今の姿は歴代の司教と大司教が造り上げたものと言って過言ではない。


 初めての博物館というのは入館前に心臓がドキドキするが、肝いりで準備された展示の品々はどうだろうと想像たくましく頭に描いていた。英文のガイドOLOMOUC ARCHDIOCESAN MUSEUM guidebookを買い求めた。


 ここでは実際に見学して印象に残った展示品などについて列記してわたしのメモとしたい。


*博物館の展示物
 159番 The Crucifixion of St. Peter油絵 1650年代 
後に聖人となるペトロがローマ神殿の前で頭をしたにして十字架につるし上げられている絵。ローマの暴君ネロ皇帝はキリスト教を毛嫌いした。イエスの一番弟子ペトロはローマで熱心に布教活動をしたが,ネロの手に掛かり張付けで殺されたのは西暦65年のこと。神となるイエスが張り付けになった格好ではおそれ多いと自ら逆吊りを申し出たと伝えられている。


155番 The Adoration of the Magi 油絵 1701年 
三人の王様が誕生間もないイエスを表敬訪問している絵。三人をまとめてMAGIと呼ぶ。MAGIもカトリック絵画でひんぱんに描かれているが、かならず聖母マリアがイエスを抱えているわけは、イエスの誕生を祝福するために遠路はるばるやってきたから。誕生まもないのにさすがにイエスは目をパッチリとあけずいぶんと大きい。だいたいそのように描かれている。マリアは馬小屋でイエスを生んだ筈だが,たいそう美しく身にまとう着物も豊かに描かれているのもこの辺りでは普通である。


170番 St. Wenceslas Order the Destruction of Pagan Idols and the Construction of Christian Churches 油絵 1641年
聖ヴァーツラフが指揮してキリスト教以前の教会などを破壊している絵。聖ヴァーツラフの時代のチェコは王国ではなくてまだは公国だった。後に聖人に列せられたヴァーツラフ公は狂信的ともいい得る熱心なキリスト信者だった。ただし欧州風土のお陰と思うが、それまで散々毛嫌い迫害されてきたキリスト教がいったんローマ法王に認められると、それまでの宗教的な建物はどこでも破壊されてしまった。ひとりヴァーツラフが破壊したわけではなかった。それは貴重な文化遺産の消失だった。


なぜ全体的に暗い絵が多いのだろうか。暗いタッチの絵画はむかしイタリアで流行し次ぎに絵画王国オランダで流行ったが,チェコの古い絵のなかにはオランダ人によるものがたくさんあるのと影響を受けたからといわれる。テーマや主人公に光を当てる手法だった。悪魔やキリストに焦点を当てた絵画はとくに暗い感じがする。バロック調になると全体的に明るい絵が主流になる。170番の絵はチェコ人画家によるもの。


184番 The Archangel Gabriel from the Annunciation 木版に描いた油絵 
花束を持った大天使ガブエルがマリアにイエス生誕を予告しているシーン
16世紀初めのイタリア人画家の制作


ここで興味ぶかい暖炉が目に入った。1860年製で大司教の紋章をアラベスク模様にした豪華な暖炉。高位の人の部屋にはどこにも立派な暖炉が備わっていた。その装飾は時代の流行の模様か住人の好みを反映した。


金箔の聖人像,金銀装飾が目を引く司教・大司教の礼服を展示している部屋,聖女アンナ(聖女マリアの母)がイエスを大切そうに抱いている絵などが豪華である。


*聖女パヴリーヌ
246番 Reliquary of St. Pauline 聖女パヴリーヌの聖遺物箱
17世紀に作られその後1786年に改造された神々しい箱である。
聖女パヴリーヌの指が入っていた箱の高さは1メートル程度で幅は約50センチメートル,多角形形をした豪華な箱の上にオロモウツをペストから守る聖女パヴリーヌの像が立っている。聖遺物信仰はカトリック史上一世を風靡した風土に根ざした信心が生んだ信仰であった。なお、恐ろしいペストはこの町を5度にわたり襲いその度に人口は激減した。


255番 Chalice 聖杯 17世紀末
高さ270ミリの金箔ワイングラスは豪華。いわゆる聖杯というカトリック信者にはありがたいワイングラスであるが以前は聖職者のみがワインを飲むことが許されていた。その差別も過去の反カトリック運動の標的にされた。東方正教は古今だれでも教会に自分のワイングラスを持参して聖職者から聖なるワインをいただいた。


260番 The Virgin Mourning  油絵 1700年ごろ 聖母マリアの痛み
地上にいるとき七つの痛みを受けた聖女マリアだが初めての痛みを受けている絵。胸に一本の長剣が刺さっていて苦しそうなマリア。

 


271番 The Flagellation of Christ and Two Weeping Angels 像 
1730年代終り頃
鞭を受けて血だらけになっているイエスの木像と天使が悲しみの涙を流している木像二つ。迫力あるシーンを演出している三つの木像である。


275番 Immaculate 油絵 1760年代 
通常Immaculate Conceptionと二語で使われて、意味が難しいキリスト教用語のひとつで無原罪懐胎と訳される。イエスの母親となるマリアは懐胎の瞬間に原罪を免れたという意味。マリアは蛇の首と三日月を踏みつけている。


282番 St. Barbara 木像 聖女バーバラ 1772年以前の作品
聖女バルバラはあまりにも美しい処女である。キリスト教の洗礼をうけて父親の立腹をかい殺されてしまったと言い伝えられる伝説上の美人。過酷な人生を送ったとされる。鉱夫、建築家、消防士を守る聖人。  


1195番 絵画 
枢機卿Cardinalは教皇の次ぎに位置する高位聖職者。時の枢機卿が式典に使う馬車にのり1783年、オロモウツに入った場面の絵画で往時のおごそかな行列と歓迎する聖職者たちの立ち居振る舞いなど興味深い。


オロモウツ大司教博物館でたくさんの聖なる作品の数々をゆっくりと鑑賞させてもらった。この町にはオロモウツ歴史博物館という素晴らしい博物館があり、そちらの方は宗教にまったく興味がない方にもお勧めできる。展示内容については参考にしていただければ幸いなのでべつのページに書くつもりにしている。


 この大司教博物館の旧宮殿の一角には新にカフェができていた。それはカフェ・モーツアルト。夏だからそとの椅子に座に腰掛ける。チェコ式のウイーンコーヒーを冷ましただけのアイスコーヒーを飲みながら、天をつくように聳え立つ聖ヴァーツラフ教会やロマネスク窓が修理されている小粒でおくゆかしそうな礼拝堂を眺めるのにちょうどいい。望遠のレンズからは教会ファサードを飾る聖人の像やバラ窓をグッと引き寄せて仔細を観察することが可能だ。


*モーツアルト
 この博物館をでてヴァーツラフ広場からもういちど旧宮殿をみると、モーツアルトが幼い頃二ヶ月ほど滞在したのを記念するプラークが視界に入る。ウイーンでペストが猛威をふるっていたとき家族がしばらくオロモウツにいた。そして神童モーツアルトはこの宮殿で一曲作曲した。


*聖人
 古めかしい聖人像がたっている。むかしむかし、かなり横暴だった国王のお后があるとき重大な告白をした。その告白に立ち会った僧侶にその王様はお后がなにを神に謝ったのか教えろと迫ったが、ついに彼は口を割らなかった。そのネポムツキーという僧侶はプラハの川に突き落とされて溺死してしまった。聖職者として,知ってしまった秘密を守り通して殉死した彼は口のかたい偉い人物だったと認められて聖人に列席されたのだった。この聖人の像はいたるところに建っている。

オロモウツでもおなじような経緯で拷問によって殺されたサルカンドルという聖人は、2005年ときの教皇モラヴィアを訪問したときに彼を聖人の一人として認めたのだった。かれが拷問をうけた場所には拷問の装置がたくさんあって見学をする人もいる。恐ろしいところだから気の弱い方は遠くでチラッと見る程度にとどめるほうが無難だ。
ただし、文化遺産である聖三位一体柱の石像群のひとつにもなっているサルカンドルではあるが、この人物は嘘つきだったから、聖人に列席されるお祭に参加しなかったと告白した文化人がいた。聖人はカトリックの都合で選ばれたというのはこちらではだれでも知っていることなのである。
http://4travel.jp/traveler/fk/album/10084802/