礼拝堂


礼拝堂内部の壁には六つの浮彫りが飾られている。みな聖書に表れているという犠牲と生贄を捧げるシーンで、例えば、アブラハムが自分の息子の代わりに羊を焼いて神に捧げる場面のレリーフがある。「完全なる犠牲」となったイエスの十字架はりつけの浮彫りでは背景として、ちょっと驚くが、オロモウツの町が描かれている。なにやら悲しそうな町に描かれている… イエス・キリストは全人類のために犠牲になられたのであり、このオロモウツではオロモウツの民のために犠牲になられたのだという意味らしい。


礼拝堂ではどこまでも親切な尼僧が一生懸命キリスト教の話を語ってくれた。わたしも耳を傾けて聴き入ったが、ほとんどの内容は理解できなかった。それほどプロの聖職者の説明内容とは難しいものか… それともキリスト教という宗教又はその教義が理解しがたいものなのか、いつまでも不思議なのだ。まずは信じなさい、さすれば分かるのだ、という改宗を誘う決まり文句を思い出す…


礼拝堂から外に出て踊り場から市庁舎を眺めるとアングルがよい。踊り場から下に行くのに七段の階段があり、手すりがある。手すりに炎の形をした金色装飾がたくさんあるが、これらは尼僧の説明では、「愛の炎」だった。その下の階段は4段であるが、聖書は四名の作品で、その四という数字から、石段を4つに造られた、というのも尼僧の説明だった。七段の階段の「七」も意味があると尼僧は言ったが申し訳ないことに忘れてしまった。キリスト教も縁起というようなものを担ぐのだな〜と驚いてしまったのが原因で,キリスト教の七の意味は覚えなかった。