テプリツェ

テプリツェのスパーを擁する大きなホテルが立ち並ぶ保養地も森林のなかにある。19世紀後半にはいってイエセニークもテプリツェも水応用の治療で人を集客して開発が進んだ。オーストリア帝国の衰退が忍び寄っていた時期ではあったが、鉄道網の発展はドイツ人の旅行ブームを開花させた。贅沢に設計された独特な建物群や、よく整備された緑と林のなかの散歩道、外観がお城のようなホテルを見学するだけで、往時の繁栄ぶりを偲ぶこともできる。
食事の面からいっても、チェコオーストリアも今よりももっともっと肉食に偏っていたから健康を害する人が多かったであろう。パンにはラードを塗っていた。野菜不足は日常的だった。
そしてチェコのスパー産業はいまふたたび健在なのだが、それは、西欧に比べて滞在と治療の料金が安くつく、という理由からでもある。わたしは今のところ幸いにも健康を損ねていないのでスパーには浸かったことはない。スパーの楽しみを語る資格はないが、そこでの森の散策、洞窟探検、ホテルの食事などだけで結構健康を回復したような気分にはなる。
現在では15年前の国民の健康状態よりも相当改善されたという統計があるが、それでもいまだにしょっちゅう風邪をひいたり健康を害するチェコ人は多い。進出した日本企業はまずそれに驚かされるが,チェコの伝統的な食事というものを知ればさもあらんと悟るわけだ。

 今日はベチョヴァ川の向こうにテプリツェの森とスパーの建物群を見ながらジュラチャン氏の車で県道を走った。ヤロさんが通訳。妻はチェコの保養地をながめるのは初めての体験だった。日本でいうと軽井沢の風景であるが建物の設計が異なっている。ローカル線の無人駅テプリツェ駅を過ぎるとすぐ彼のレストランがある。