町の特徴を醸し出す歴史

 この町の突出した特徴は,カトリックが権勢を欲しいままにふるった時代から司教座があったことにある。時を経て司教座は大司教座に昇格して,ますます贅の限りを尽くした。もうひとつの特徴は,宗主国ハプスブルク家の帝国領土をまもる砦として発展したことだ。それらは長い歴史のあいだにあらゆる面でドイツ文化の影響を徹底的に受けてきたという特色を際だせることになる。この町はドイツ人に支配され続けてきたと表現する方が分かりやすい。


第二次大戦ではチェコ全土はドイツに支配されて、好まないのにドイツ軍のための武器弾薬などの物資を製造して供給するという侮辱的な経験をした。そのお陰というのか、歴史の皮肉か大戦中には戦場にならなかった。オロモウツの工業と産業、さらに軍事施設はドイツのものであった。


チェコが二度目の独立を果たした直後にはソ連邦に組み入れられてしまったがこれも人々が望んだことではなかった。オロモウツには社会主義時代にはロシアの大部隊が駐留した。人々はひっそりと、そして地味に暮らすよりなかった。大きなグループで踊ったりするのは許されることでなかった。


 そして,その歴史が古い貴重な建築物をたくさん生き延びさせてきた。社会主義時代にボロボロに朽ちさびたそれら記念的な教会,宮殿,建物物などが21世紀になり修復されていまやっと蘇えりつつある町なのだ。
贅沢だった司教・大司教が建築・改築した豪華絢爛たる装飾を戴く建造物はいまでは遠くからも注目され始めて観光客が毎年少しずつ増えている。それが古都オロモウツである。


旧市街の広場に聳える「聖三位一体碑」が2000年にユネスコ文化遺産に登録されて一躍有名になった。大火に,戦争に,ペストに,くり返し襲われては廃墟に化したが,その度に聖職者の尽力で蘇った。1700年代末期に大火災があった。1710年代のペストでは3万の都市住民が1,500人だけ生き残るという有様、凄まじい伝染病だった。その様な過酷な歴史を経て、ペストが収まったのを神に感謝して建造されたのが,この文化遺産であった。(その後の歴史も過酷であり続けたのだが)


女帝マリア・テレジアも皇帝も聖三位一体碑の開幕式に参列した。枢機卿というローマ教皇の次に高位にある聖職者もオロモウツに馳せ参じた。その場面の大きな絵画はときの最高権力者たちが集まる華やかな絵巻そのもので、オロモウツ大司教博物館に飾られている。
この碑はローマカトリック教の戦勝記念でもある。