6月26日

聖三位一体コラム(柱)という記念碑がチェコ共和国オロモウツ世界文化遺産に登録されたのはミレニアムの年2000年で、その最後の月にユネスコ登録記念のお祭があった。静かな古都にとっては近年始めての賑わいで、人口の大半が市街に繰り出す騒ぎだった。


 天気のよい季節になるとこのコラムの内部にある礼拝堂で尼僧がカトリックのせつめいや聖三位一体のコラムについての説明をしている。この尼僧は懇切丁寧なお話をしてくださるが、いかんせんわたしには言葉の障壁があってさっぱり分からなかった。今日こそはとヤロさんの通訳でお話をうかがうことになった。30分以上もかけていろいろな側面からカトリックにまつわる物語を説いていただいた。そしていままでボヤーとしていたオロモウツという町の歴史的な特徴がわたしには、はっきりしてきた。ここで改めてわたしなりに捉えたこの都市のイメージを書いておきたい。

町の特徴を醸し出す歴史

 この町の突出した特徴は,カトリックが権勢を欲しいままにふるった時代から司教座があったことにある。時を経て司教座は大司教座に昇格して,ますます贅の限りを尽くした。もうひとつの特徴は,宗主国ハプスブルク家の帝国領土をまもる砦として発展したことだ。それらは長い歴史のあいだにあらゆる面でドイツ文化の影響を徹底的に受けてきたという特色を際だせることになる。この町はドイツ人に支配され続けてきたと表現する方が分かりやすい。


第二次大戦ではチェコ全土はドイツに支配されて、好まないのにドイツ軍のための武器弾薬などの物資を製造して供給するという侮辱的な経験をした。そのお陰というのか、歴史の皮肉か大戦中には戦場にならなかった。オロモウツの工業と産業、さらに軍事施設はドイツのものであった。


チェコが二度目の独立を果たした直後にはソ連邦に組み入れられてしまったがこれも人々が望んだことではなかった。オロモウツには社会主義時代にはロシアの大部隊が駐留した。人々はひっそりと、そして地味に暮らすよりなかった。大きなグループで踊ったりするのは許されることでなかった。


 そして,その歴史が古い貴重な建築物をたくさん生き延びさせてきた。社会主義時代にボロボロに朽ちさびたそれら記念的な教会,宮殿,建物物などが21世紀になり修復されていまやっと蘇えりつつある町なのだ。
贅沢だった司教・大司教が建築・改築した豪華絢爛たる装飾を戴く建造物はいまでは遠くからも注目され始めて観光客が毎年少しずつ増えている。それが古都オロモウツである。


旧市街の広場に聳える「聖三位一体碑」が2000年にユネスコ文化遺産に登録されて一躍有名になった。大火に,戦争に,ペストに,くり返し襲われては廃墟に化したが,その度に聖職者の尽力で蘇った。1700年代末期に大火災があった。1710年代のペストでは3万の都市住民が1,500人だけ生き残るという有様、凄まじい伝染病だった。その様な過酷な歴史を経て、ペストが収まったのを神に感謝して建造されたのが,この文化遺産であった。(その後の歴史も過酷であり続けたのだが)


女帝マリア・テレジアも皇帝も聖三位一体碑の開幕式に参列した。枢機卿というローマ教皇の次に高位にある聖職者もオロモウツに馳せ参じた。その場面の大きな絵画はときの最高権力者たちが集まる華やかな絵巻そのもので、オロモウツ大司教博物館に飾られている。
この碑はローマカトリック教の戦勝記念でもある。

世界文化遺産というもの

この35メートルの文化遺産は日本人にとって簡単に値打ちや意味がわかる代物でない。世界中には目の覚めるような美しい遺産、巨大な遺構、大自然などたくさんあるから、すでにそれらを見学された方にとり、これが世界文化遺産なのかとむしろいぶかしがる日本人は多い。でも少しだけといえどもその歴史の特徴を学ぶことができたので、もう一度「聖三位一体」の柱を正面外見から見学した。


簡素な造りの日本に残る神社やお城を美しいと鑑賞する美意識からすると、金襴豪華で出っ張りがなにやら意味を成している柱頭の一体物や下半分には石像がほぼ左右均等に配置されている柱の全体をながめて、ずいぶんと物々しいあまり格好のよくない物体があるという感じにも見えてしまうかもしれない。


柱頭に座っているのがいわゆるオロモウツの「聖三位一体」で、左手を天にかざす父なる神、右手に十字架をもつイエス・キリスト、真ん中にシンボルである鳩がとまって光を天に放つ精霊が一体となって神を表す。
その下に剣をたずさえて天国を守る大天使ミハル(又はミカエル)が座っている。彼の下方向は地上であり、真下にちょうどマリアが二人の天使に助けられて天国に昇天する場面が目に入ってくる。一見すると、上方にいる大天使がマリア様を引っ張り上げているように思えるが、そうではなくて、天国と地上を自由に飛ぶことのできる天使がマリア様を天に導いている。そこまでの石像は金箔が貼られて金色に輝いている。


キリスト教のいう地上を見るが、正面の礼拝堂入口の手前には、左右に二人の天使が松明トーチをかかえている。夜は明かりをともして信者を迎えてくれたのだろう。
礼拝堂入口の半円アーチの上には文字が刻んである。宗主国オーストリア皇帝と后が列席あそばしてこの記念碑を神様に奉納いたします、という内容。
その上の円形縁のなかに浮彫りされた人物はイエスの12使徒のなかでも一番弟子であった聖人ペトロ(ペトゥル)。ローマで布教活動を行っていたペトロは時の暴君ネロに捕まり十字架に架けられたが,神様であるイエス・キリストとおなじ姿ではおそれ多いと自ら頭をしたに逆さに架けられたのだった。
なお、礼拝堂の分厚い壁外側には12使徒みなの浮彫りが施されている。


 もう一度礼拝堂の入口をながめる。石像がそれぞれの柱の上に立っているが、一段目の右側には若きヴァーツラフの像。彼は殉死して「ボヘミアを守る聖人」としてチェコを見守り、困難が現れると馬にまたがり国の困難に立ち向かうと言い伝えられている。彼の名を冠したヴァーツラフ大教会はオロモウツの観光スポットの一つとなっている。
 一段目の左方向には、聖人モジツが立っている。モジツはアフリカ生まれのローマの軍人だったが後にオーストリアを守る聖人として列聖した。彼の名を冠した聖モジツ教会もオロモウツの観光名所で、とくに国際パイプオルガンの音楽祭で知られている。


二段目の左右にみられるのが、チェコキリスト教を伝えた二人の聖人で、「モラビアを守る聖人」ツィリルとメトディウス。そして三段目左右の聖人は、聖母マリアの両親である。



そのほかにもたくさんの聖人像がたっている。イエスの育ての父、洗礼を制度化したバプディスト、市庁舎の礼拝堂を守る聖人、私物をすべて貧しい人に与えたスペイン生まれの聖人、懺悔の秘密を守って殺された聖人二人、イタリア生まれの消防の聖人、などが立っている。

聖人物語はいつブームになるか?

わたしはよく思うが、聖人に列せられた人物は実在した者もそうでない者も波乱に富んだ人生をおくったようで偉人風の人生物語になっているから、キリスト教が育った風土を知るのに役立つのではなかろうか。まったくこの世に実在できそうもないストーリーのギリシャ神話が幼児に読んで聞かせたい物語だとすると、神話よりもはるかに新しい物語だから、自分の趣味として読むと、往時のその地の世界観が理解できそうな、不思議なストーリーだと思う。いつかは日本でもキリスト教の聖人物語がブームになる予感がする。キリスト教で認められた日本人の聖人だって、いるのである。

礼拝堂


礼拝堂内部の壁には六つの浮彫りが飾られている。みな聖書に表れているという犠牲と生贄を捧げるシーンで、例えば、アブラハムが自分の息子の代わりに羊を焼いて神に捧げる場面のレリーフがある。「完全なる犠牲」となったイエスの十字架はりつけの浮彫りでは背景として、ちょっと驚くが、オロモウツの町が描かれている。なにやら悲しそうな町に描かれている… イエス・キリストは全人類のために犠牲になられたのであり、このオロモウツではオロモウツの民のために犠牲になられたのだという意味らしい。


礼拝堂ではどこまでも親切な尼僧が一生懸命キリスト教の話を語ってくれた。わたしも耳を傾けて聴き入ったが、ほとんどの内容は理解できなかった。それほどプロの聖職者の説明内容とは難しいものか… それともキリスト教という宗教又はその教義が理解しがたいものなのか、いつまでも不思議なのだ。まずは信じなさい、さすれば分かるのだ、という改宗を誘う決まり文句を思い出す…


礼拝堂から外に出て踊り場から市庁舎を眺めるとアングルがよい。踊り場から下に行くのに七段の階段があり、手すりがある。手すりに炎の形をした金色装飾がたくさんあるが、これらは尼僧の説明では、「愛の炎」だった。その下の階段は4段であるが、聖書は四名の作品で、その四という数字から、石段を4つに造られた、というのも尼僧の説明だった。七段の階段の「七」も意味があると尼僧は言ったが申し訳ないことに忘れてしまった。キリスト教も縁起というようなものを担ぐのだな〜と驚いてしまったのが原因で,キリスト教の七の意味は覚えなかった。

趣味人

夕方わたしと妻は友達に招待された。小高い聖なる丘コペチェックの一角に二年前から建築中だった大きな家にはまだ家具は揃っていないからできたての屋敷で、趣味人のご主人は家よりもプール付きの前庭がじまんだ。庭いじりが趣味な大男ネマイヤさんは、チェコ人共通の自然愛の心をもっていて、盆栽にも興味をもっている。
彼のもう一つの趣味はマシンだ。小型飛行機をもっていたがそれは彼の友達が墜落させてしまったから次の機種を探している。ネマイヤさんが獲得した今年の記念物は二つのトロフィーだった。アフリカとチェコでの自動車ラリーで優勝して得たものでまだ家具がなにもない部屋にひときわ目立つように置いてある。
今年はじめトヨタ自動車のカレンダー3種類をプレゼントした。説明が日本語なので飾ってくれるのかどうか予測できなかったが、車大好き人間というのは外国語説明という異物があってもそれを飾って自動車を理解するものかと認識した。ポスター兼カレンダーの写真に刺激されて、トヨタのランドクルーザに乗り換えた、それで優勝したといって高笑いしていた。


妻の方は奥方とペチャクチャ、子供や家の話をしていた。


http://4travel.jp/traveler/fk/album/10029771/