大自然

ジュラチャン氏の開発途上な土地を本人に案内してもらった。鬱蒼と茂る山林の湿った地表にぽっかりとあいた露天の洞穴を指し示されるまま上からのぞいて観察してみたら、表面が軟らかそうな成長している岩石というものがあった。自然が今の瞬間生き続けているそんな場面を見てわたしたちは感激してしまった。唖然としてしばらく眺め続けたが、それは日常生活には見当たらない神秘な自然界の息吹だった。これから調査を進めるという。


氏の山林には他に洞窟が二つある。開発を始めたばかりで水溜りがあちこちにある、湿った大地の足もとには、まだ電灯も準備していないから歩き進むのが恐ろしくなるような野性味に富んだ真っ暗な自然穴だ。フクロウを恐ろしがった妻もついつい迷路に誘われて奥に奥にと突き進む。大小の空間がすでに発見されている。迷路の中の一所では、なんと大きな水がめがあり緑の水が眠っているではないか。どれほどの深さなのか、地下水はどれぐらいあるのか、なにもかもこれから調査するのだとジュラチャン氏が語る。
恐る恐る進んだ。目の前につららの格好が現れた。何万年もすれば石柱となるのだろう、その若くて成長している洞窟天上からぶら下がっている物体の下端から一滴しずくが落ちるのをタイミングよく見た!! 触ってみた!! 冷え冷えとした大自然のなかで、悠久の時を味わった瞬間であった。

氏は洞窟の水を銅管で引くスパーを建設中だ。塩素系ナトリウムを多く含む水は、テプリツェのスパーの水と同質なのだ。

洞窟レストラン

モラヴィア地方ではかなり知られていた石灰製造・加工の工場を上手に改造してレストランと宿泊施設に完成させたものだった。16世中葉から1976年まで近くで採掘した石灰岩を1000度の高温で溶かし石灰として建築用レンガを製造していた。その現場は地下にあり改造後の今は、1000度で溶けたレンガがガラス状に硬化してピカピカと光り輝く壁になったものをそのままにし、石炭石を落とした穴も、通気口も残して、洞窟レストランに仕上げてあるから、元石灰工場の洞窟レストランである。むかしの石灰煉瓦製造法を将来に残す記念的な仕上げになっている。
この国には洞窟は至るところにあり、洞窟活用のレストランは少なからずあって新しいタイプのレストランとして人気がある。しかし、それにしても、レンガが溶けて光沢が美しい壁となった洞窟で食事をするというのは珍しいから話題になり、週末にはお客が集まるので事前予約が必要だ。これほど美しい地下洞窟で食事するなんて、素敵と、妻は喜んでいた。

テプリツェ

テプリツェのスパーを擁する大きなホテルが立ち並ぶ保養地も森林のなかにある。19世紀後半にはいってイエセニークもテプリツェも水応用の治療で人を集客して開発が進んだ。オーストリア帝国の衰退が忍び寄っていた時期ではあったが、鉄道網の発展はドイツ人の旅行ブームを開花させた。贅沢に設計された独特な建物群や、よく整備された緑と林のなかの散歩道、外観がお城のようなホテルを見学するだけで、往時の繁栄ぶりを偲ぶこともできる。
食事の面からいっても、チェコオーストリアも今よりももっともっと肉食に偏っていたから健康を害する人が多かったであろう。パンにはラードを塗っていた。野菜不足は日常的だった。
そしてチェコのスパー産業はいまふたたび健在なのだが、それは、西欧に比べて滞在と治療の料金が安くつく、という理由からでもある。わたしは今のところ幸いにも健康を損ねていないのでスパーには浸かったことはない。スパーの楽しみを語る資格はないが、そこでの森の散策、洞窟探検、ホテルの食事などだけで結構健康を回復したような気分にはなる。
現在では15年前の国民の健康状態よりも相当改善されたという統計があるが、それでもいまだにしょっちゅう風邪をひいたり健康を害するチェコ人は多い。進出した日本企業はまずそれに驚かされるが,チェコの伝統的な食事というものを知ればさもあらんと悟るわけだ。

 今日はベチョヴァ川の向こうにテプリツェの森とスパーの建物群を見ながらジュラチャン氏の車で県道を走った。ヤロさんが通訳。妻はチェコの保養地をながめるのは初めての体験だった。日本でいうと軽井沢の風景であるが建物の設計が異なっている。ローカル線の無人駅テプリツェ駅を過ぎるとすぐ彼のレストランがある。

チェコの保養地

 オロモウツから東に車で20分足らず走るとテプリツェという所に行く。テプリツェは保養地で知られ健康治療スパーの町。チェコ国内からの保養者も多いが西欧からのお客さんがいつも散歩したり買い物をしているから、モラヴィアでは珍しく外国語が氾濫している町という特徴がある。もちろん国際見本市があるときには外国からの訪問客が絶えないブルノというイベントで外国人を引き寄せる都市もあるが、観光とスパーを組み合わせて外国から年中西欧人を引き寄せている都市はチェコ東部では二ヶ所しか知らない。実は水治療を開発したのはオロモウツの北の山脈の村に住むドイツ人だった。イエセニーキー山脈の懐に銀採掘で繁栄したイエセニークは、銀が枯渇した頃、ドイツ人が水を使う健康回復治療法を完成した。彼は農業を生業としていたが傷を癒すのにきれいな水を患部に流し続けると自然に治るというのを発見した。イエセニークの自然水の成分が治療にあっていた。

趣味人

夕方わたしと妻は友達に招待された。小高い聖なる丘コペチェックの一角に二年前から建築中だった大きな家にはまだ家具は揃っていないからできたての屋敷で、趣味人のご主人は家よりもプール付きの前庭がじまんだ。庭いじりが趣味な大男ネマイヤさんは、チェコ人共通の自然愛の心をもっていて、盆栽にも興味をもっている。
彼のもう一つの趣味はマシンだ。小型飛行機をもっていたがそれは彼の友達が墜落させてしまったから次の機種を探している。ネマイヤさんが獲得した今年の記念物は二つのトロフィーだった。アフリカとチェコでの自動車ラリーで優勝して得たものでまだ家具がなにもない部屋にひときわ目立つように置いてある。
今年はじめトヨタ自動車のカレンダー3種類をプレゼントした。説明が日本語なので飾ってくれるのかどうか予測できなかったが、車大好き人間というのは外国語説明という異物があってもそれを飾って自動車を理解するものかと認識した。ポスター兼カレンダーの写真に刺激されて、トヨタのランドクルーザに乗り換えた、それで優勝したといって高笑いしていた。


妻の方は奥方とペチャクチャ、子供や家の話をしていた。


http://4travel.jp/traveler/fk/album/10029771/

礼拝堂


礼拝堂内部の壁には六つの浮彫りが飾られている。みな聖書に表れているという犠牲と生贄を捧げるシーンで、例えば、アブラハムが自分の息子の代わりに羊を焼いて神に捧げる場面のレリーフがある。「完全なる犠牲」となったイエスの十字架はりつけの浮彫りでは背景として、ちょっと驚くが、オロモウツの町が描かれている。なにやら悲しそうな町に描かれている… イエス・キリストは全人類のために犠牲になられたのであり、このオロモウツではオロモウツの民のために犠牲になられたのだという意味らしい。


礼拝堂ではどこまでも親切な尼僧が一生懸命キリスト教の話を語ってくれた。わたしも耳を傾けて聴き入ったが、ほとんどの内容は理解できなかった。それほどプロの聖職者の説明内容とは難しいものか… それともキリスト教という宗教又はその教義が理解しがたいものなのか、いつまでも不思議なのだ。まずは信じなさい、さすれば分かるのだ、という改宗を誘う決まり文句を思い出す…


礼拝堂から外に出て踊り場から市庁舎を眺めるとアングルがよい。踊り場から下に行くのに七段の階段があり、手すりがある。手すりに炎の形をした金色装飾がたくさんあるが、これらは尼僧の説明では、「愛の炎」だった。その下の階段は4段であるが、聖書は四名の作品で、その四という数字から、石段を4つに造られた、というのも尼僧の説明だった。七段の階段の「七」も意味があると尼僧は言ったが申し訳ないことに忘れてしまった。キリスト教も縁起というようなものを担ぐのだな〜と驚いてしまったのが原因で,キリスト教の七の意味は覚えなかった。